ミラノ
2009.01.10 (Sat)
元旦にバーゼル〜ルツェルン〜ミラノとまる1日かけて移動しました。
やれやれ、と部屋に入ったら、やたら広い!
荷物を降ろしてしばらくしてから夕食を食べにホテルから徒歩5分くらいの中華屋
へ。
・・・およそ信じられない味でした。中国の人が食べたら怒ること請け合い!
イタリア人はこんなものを中華だと思ってるのか?!
店のスタッフは確かに東洋人でしたが・・・。
・・・元旦ということで外のお店はほとんど閉まっているからと、旅行社が設定した食事でしたが、
あまりのひどさに怒り出したメンバーもいました。
そしてホテルへ戻る5分の間に事件が。
同室の、同じ合唱団の仲間が歩道の鉄の網?(日本だと歩道と車道の境目、排水口のフタになっているような金網状のもの)
につま先をとられ、転んだ先には運悪く車止めのU字型鉄柵。
・・・目の上が切れて出血がひどく、即刻救急車が呼ばれました。
ミラノの救急車は回転灯が青、サイレンの音がけたたましい。
日本の救急車のピ〜ポ〜という音がフルート系だとすれば(業界用語だしちまった)
ミラノの救急車のは明らかにブラス系破裂音です!
それが深夜11時半ごろ盛大に鳴らしながらやってきて、また盛大に鳴らしながら病院へ。
救急車のスタッフは3名(うち女性1人)。英語はあまり通じない。
なかなか発車しないのは日本と同じでイライラさせらましたが、応急処置の消毒と止血、
発車した時にはきれいに包帯が巻かれていて、ちょっと安心。
救急車には付き添いは2名まで!と厳格に決められているようで、
自分と、英語の達者なツアーのスタッフ、それとイタリア語の堪能な現地の日本人男性
(旅行社とタイアップした日本人向け免税土産物店のご主人)のうち
誰かがはみ出します。
結局現地の人が「自分は場所も知ってるし近いから歩いて追いかけます」
・・・で自分とツアースタッフが救急車に同乗したのでした。
病院に着いたら今度は付き添いは1名!と命令され、イタリア語のわかるその店主様がいっしょに入り、
自分とツアースタッフは待合で延々待ちました。
待合と言っても病院の外です。ガレージに繋がったちょっとしたスペース。
ドアもないので外気がそのまま入ってきます。
そんな場所に先客が何人か、「元日から病院に駆け込むような悪さをした輩の仲間」という雰囲気の
いかにも胡散臭いおっさんたちが数人。
深夜のことでしたのでだんだん居眠りを始めて、いびきの大合奏。
そのうちホームレスと思しき臭い人は来るし、
自分はとても居心地悪かった(ツアースタッフはやはり居眠りしてた)
寒いのでトイレに行きたいと思いましたが、そのおっさんたちが交代で
なぜか女性用のところにばかり入っていたので、自分は入るに入れない。
(結局ホテルに戻るまでガマンの子でした)
覗くだけ覗いてみたら案の定お世辞にも清潔とはいえず、なにより
便座がない
壊れた、とかではなく、最初からないのですね。
これでどうやって用を足すのか、未だにナゾのままです。
怪我人は3時ごろ出てきました。レントゲンなどの検査をして異常はないとのことで一安心。
本当は一晩は病院にいたほうがいいらしいのですが、
いても意思の疎通ができないから、と出てきたのでした。
これがまた翌日問題になったりする。
翌朝。いっしょに旅行していた自分の師匠(怪我したヒトと長年の付き合いがあります)が
部屋にお出で下さって、保険会社や日本の家族とてきぱき連絡。
午前中は買いものツアーをキャンセルして師匠と自分はずっと怪我人と一緒に部屋にいました。
午後からはダヴィンチの最後の晩餐を見学する予約がしてあったので
それだけは見てきて!と怪我人にも頼まれ、
師匠と2人でミラノの街中へ出て行きました。
しかし、ドイツ語圏と違ってミラノは歩きにくい!
ドイツもスイスも何とかシュトラーセ、とか何とかプラッツとか必ず表示があるのに
ミラノでは何も表示がなく、自分がどこにいるのか、どっちがどっちの方向なのか皆目わかりません。
闇雲に歩いて運よく駅に出られたので、タクシーで大聖堂へ。
やはりミラノでこれははずせない、ですよね。

あまりに広すぎ、しかも薄暗くて、おまけに急いでいたので
印象があまり残ってません。いかんなあ。
ここから電車でいくつか乗ってサンタマリア デレ グラツィエ教会へ行こうと思ったのですが
電車の乗り場も不明だったのでまたタクシー。
予約の時間ギリギリでなんとか最後の晩餐を見ることができました。

この左手から入って、色々な部屋を通るうちに、
身体についた埃などをクリーニングされ、
きれいになったところで最後の晩餐とご対面です。
なんだかとんでもないイタリア初体験でした。
タクシーの中から見たミラノの街は・・・すみません・・・「うすぎたない」の一言です。
建物は立派で、歴史を感じさせるものばかりですが、汚れている、清潔さがない・・・
いつか違う目でミラノ、イタリアを見るようなことがあるのでしょうか???
怪我に絡むハプニングはまだまだ続きます〜
やれやれ、と部屋に入ったら、やたら広い!
荷物を降ろしてしばらくしてから夕食を食べにホテルから徒歩5分くらいの中華屋
へ。・・・およそ信じられない味でした。中国の人が食べたら怒ること請け合い!
イタリア人はこんなものを中華だと思ってるのか?!
店のスタッフは確かに東洋人でしたが・・・。
・・・元旦ということで外のお店はほとんど閉まっているからと、旅行社が設定した食事でしたが、
あまりのひどさに怒り出したメンバーもいました。
そしてホテルへ戻る5分の間に事件が。
同室の、同じ合唱団の仲間が歩道の鉄の網?(日本だと歩道と車道の境目、排水口のフタになっているような金網状のもの)
につま先をとられ、転んだ先には運悪く車止めのU字型鉄柵。
・・・目の上が切れて出血がひどく、即刻救急車が呼ばれました。
ミラノの救急車は回転灯が青、サイレンの音がけたたましい。
日本の救急車のピ〜ポ〜という音がフルート系だとすれば(業界用語だしちまった)
ミラノの救急車のは明らかにブラス系破裂音です!
それが深夜11時半ごろ盛大に鳴らしながらやってきて、また盛大に鳴らしながら病院へ。
救急車のスタッフは3名(うち女性1人)。英語はあまり通じない。
なかなか発車しないのは日本と同じでイライラさせらましたが、応急処置の消毒と止血、
発車した時にはきれいに包帯が巻かれていて、ちょっと安心。
救急車には付き添いは2名まで!と厳格に決められているようで、
自分と、英語の達者なツアーのスタッフ、それとイタリア語の堪能な現地の日本人男性
(旅行社とタイアップした日本人向け免税土産物店のご主人)のうち
誰かがはみ出します。
結局現地の人が「自分は場所も知ってるし近いから歩いて追いかけます」
・・・で自分とツアースタッフが救急車に同乗したのでした。
病院に着いたら今度は付き添いは1名!と命令され、イタリア語のわかるその店主様がいっしょに入り、
自分とツアースタッフは待合で延々待ちました。
待合と言っても病院の外です。ガレージに繋がったちょっとしたスペース。
ドアもないので外気がそのまま入ってきます。
そんな場所に先客が何人か、「元日から病院に駆け込むような悪さをした輩の仲間」という雰囲気の
いかにも胡散臭いおっさんたちが数人。
深夜のことでしたのでだんだん居眠りを始めて、いびきの大合奏。
そのうちホームレスと思しき臭い人は来るし、
自分はとても居心地悪かった(ツアースタッフはやはり居眠りしてた)
なぜか女性用のところにばかり入っていたので、自分は入るに入れない。
(結局ホテルに戻るまでガマンの子でした)
覗くだけ覗いてみたら案の定お世辞にも清潔とはいえず、なにより
便座がない
壊れた、とかではなく、最初からないのですね。
これでどうやって用を足すのか、未だにナゾのままです。
怪我人は3時ごろ出てきました。レントゲンなどの検査をして異常はないとのことで一安心。
本当は一晩は病院にいたほうがいいらしいのですが、
いても意思の疎通ができないから、と出てきたのでした。
これがまた翌日問題になったりする。
翌朝。いっしょに旅行していた自分の師匠(怪我したヒトと長年の付き合いがあります)が
部屋にお出で下さって、保険会社や日本の家族とてきぱき連絡。
午前中は買いものツアーをキャンセルして師匠と自分はずっと怪我人と一緒に部屋にいました。
午後からはダヴィンチの最後の晩餐を見学する予約がしてあったので
それだけは見てきて!と怪我人にも頼まれ、
師匠と2人でミラノの街中へ出て行きました。
しかし、ドイツ語圏と違ってミラノは歩きにくい!
ドイツもスイスも何とかシュトラーセ、とか何とかプラッツとか必ず表示があるのに
ミラノでは何も表示がなく、自分がどこにいるのか、どっちがどっちの方向なのか皆目わかりません。
闇雲に歩いて運よく駅に出られたので、タクシーで大聖堂へ。
やはりミラノでこれははずせない、ですよね。

あまりに広すぎ、しかも薄暗くて、おまけに急いでいたので
印象があまり残ってません。いかんなあ。
ここから電車でいくつか乗ってサンタマリア デレ グラツィエ教会へ行こうと思ったのですが
電車の乗り場も不明だったのでまたタクシー。
予約の時間ギリギリでなんとか最後の晩餐を見ることができました。

この左手から入って、色々な部屋を通るうちに、
身体についた埃などをクリーニングされ、
きれいになったところで最後の晩餐とご対面です。
なんだかとんでもないイタリア初体験でした。
タクシーの中から見たミラノの街は・・・すみません・・・「うすぎたない」の一言です。
建物は立派で、歴史を感じさせるものばかりですが、汚れている、清潔さがない・・・
いつか違う目でミラノ、イタリアを見るようなことがあるのでしょうか???
怪我に絡むハプニングはまだまだ続きます〜
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ホントに古いんですよ、うちのスパイス類。
棚にはビンがずらり、たまに気がつくとダブってるものもMacIkonagallローリエ?ベイリーフ?同一かと思ってましたベイリーフとローリエは同じものだと思ってました。
写真を見るとかなり大きさが違うし、やはり別物?なんですね。
しかし、カレー粉が無いかわりにあらゆる香辛料が存在あきたんリベンジ!お褒めに預かり恐縮でございます
自分でもビックリでした。この型、こんなにステキにできたっけ・・・
ブリキでもこの型が一番扱いやすい(継ぎ目がなく油が塗りやすい)MacIkonagallリベンジ!ブリキ万歳ですね、まさに。
完璧な焼き上がり&型出し。本当に素晴らしいです!!
我が家にもブリキの型はたくさんありますが、手入れの悪さから錆びが出ているもの多数。
マキあつ本日のゴージャスな製作品いらっさいませ。
型は。一時シリコンにハマったのですが、今やすっかり熱も冷めました。
シンプルな金属型が一番よね。
丸型と角型、パウンド型にマフィン型、
これにMacIkonagall本日のゴージャスな製作品そうなんですよね〜案外昔ながらの品の方が
上手く焼けたりします。。。
私も初めて買ったケーキ型(ほぼ30年もの)が
油がしみ込んでいい感じに焼き上がります。
はあきたん極上の「普通のごはん」ようこそ、ようこそ♪
ともやん、幼稚園のお給食楽しく食べてることでしょうね。
日本風の繊細な味付けが早くわかるようになるとよいねえ。
飯島流だし巻き、同じくMacIkonagall